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彼はあの頃の続きを生きていた

土曜の夜のことだった。ふと小学生時代の友達の名前を思い出し、ネットで検索してみた。そうすると、Facebookにその名前がヒットした。プロフィールには何年に高校を卒業したと書いてあり、地域といい、卒業年といい、間違いなく私の小学生時代の友達と思われた。Facebookで昔の知り合いの消息がわかるというのは聞いていたが、実際にそれを体験するとは思わなかった。妙な気分だった。続けてさらに中学時代の友達、高校時代の友達を検索した。特に高校時代のある友達のことが気になった。彼のことは今でも鮮明に思い出すことができる。高校時代の記憶は常に彼とともにある。彼の名前を仮にまーくんとしておこう。

まーくんの本名で検索したところ、またもやFacebookでヒットした。まーくんがFacebookをやっていることは意外な気がしたが、反面いかにも彼らしいという気もした。プロフィールをかなり詳しく書いており、間違いなくまーくんであることがわかった。何よりそこに載っていた写真が私の記憶と完全に一致した。おいおい、まーくん、あんた全然変わってないじゃんか。彼は相変わらずハンサムで、しかし世の中を小馬鹿にしたような屈折した表情を見せていた。プロフィールを読んでさらに驚いた。彼は高校卒業後すぐに上京し、2009年まで東京に住んでいたのだった。まーくんはずっと私のすぐ近くにいたのだ。彼とは高校の卒業式以来会っていない。そのときはこれからどうするのかまだ決めていないと言っていた。それが何と東京にいたのだ。言ってくれよ、まーくん。

高校時代のまーくんはパンクなやつだった。いや、正確に言えばニューウェーブの音楽を好み、変わったことをしたがる少年だった。顔立ちはジャニーズ系にも関わらず、寝癖のまま(しかも、はげしい寝癖。今にして思うとわざとそうしていたのか?)学校に来て、とにかく一日中ウォークマンで音楽を聴いていた。クラブはブラスバンド部に入っていて、担当パートはパーカッションだった。驚くべきは部長だったことで、副部長の女の子がしっかりしていたので、なんとか仕切れていたように思う。バンドも真面目なものから不真面目なものまで、いくつか組んでいて、常にリーダーだった。私は彼のやる音楽はいまいちピンとこなかった。どちらかというと嫌いだった。しかし、まーくんの真面目と不真面目をいったりきたりする不安定さとちょっとひねくれた態度はとても好きだった。まーくんが高校卒業後、音楽の道に進んだのかどうかはずっと気になっていた。

まーくんはその後どうしたのだろう。私はどきどきしながら、まーくんのFacebookを読んだ。するとなんと彼はプロミュージシャンになり、オリジナルアルバムを出していたのだった。おぉ。まーくん、あんた本当にミュージシャンになったんだね。まーくんはミュージシャンとしてある名前を使っていた。本名にひっかけたまーくんらしいひねくれた名前だった。その名前で改めて検索をすると、YouTubeにライブの動画が載っているではないか。まーくんが歌っていた。その声を30年ぶりに聞いた。記憶の中の声と同じだった。歌っている曲も相変わらずニューウェーブだった。まーくん、あんた、全然変わってないね。

その後さらにネット検索すると、彼がミュージシャンとしてどのように生きてきたのか、うかがい知ることができた。今は松江にいるらしい。東京にいるときは会うことはできなかったが、今からでも遅くはない。そう思った。しかし、それはかなわぬことだと知った。彼はおかあさんと電話中、急に激しく咳き込み、話ができない状態になった。お母さんが心配して次の日、彼の家に行ったら、すでに冷たくなっていたそうだ。2016年3月23日午後4時、まーくんが逝った。急性肺気胸だった。

まーくん、その日はこっちは学類教育会議の日だったよ。会議のとき、あんたは逝ったんだね。会いたかったよ。ずっと東京に、すぐ近くにいたのに。しかし、これが人生だよね。仕方がない。まーくん、あんたは自分の物語を生きたんだね。YouTubeで見た姿は驚くほど高校のときと同じだったよ。君の歌はやはり好きにはなれないけれど、君があの頃の続きをずっと生きていたんだと思うと、感慨深いよ。まーくん、あんた、全然変わらなかったんだね。