1. 読書リゾート

読書リゾートというイベントを不定期に行っている。少し贅沢な宿に日頃読みたいと思っていた本を持ち込み、気のむくまま本を読むというイベントだ。これを思いついたのは大学院生(1990年頃)のときで、ある友人(T君)との雑談の中で誕生した。読書を楽しむことが目的なので、観光禁止、テレビ禁止、パソコン禁止とした。好きな本を20冊ほど持ち込み、朝から晩までひたすら読書する。自分が持ち込んだ本だけでなく、相手が持ってきた本も読んでよい。話をするのは食事のときだけで、あとは宿の中の好きな場所で好きなように本を読む。なんて贅沢なイベントなんだろうと思った。

T君と私は大いに盛り上がり、まわりの友人たちにも声をかけてみた。ところが、「え、観光しないの?」「ただ本を読むだけ?」「テレビ見ちゃいけないの?」「意味わかんない」とまったく共感が得られなかった。ち、真の贅沢がわからない奴らめと内心思いながらT君と私は初の読書リゾートに出かけた。大変素晴らしかった。俺たちは天才ではなかろうかと、リゾートホテルの窓ガラスにとまったヤモリを見て、「青春の光と影ならぬ青春の光トカゲ」と訳の分からないことを言い合いながら、読書リゾートを大いに楽しんだ。その後、T君と私は不定期に読書リゾートを行い、読書リゾートに適している宿の特徴を理解するに至った。一言でいえば、読書スペースがどれだけ確保されているかである。もちろんここでいう読書スペースは、単に場所があるということではない。快適に読書できる状態が維持されている場という意味である。

さて、箱根本箱である(http://hakonehonbako.com/)。箱根本箱は「本との出会い」を目的としたブックホテルだ。どのように「本との出会い」を演出しているのだろうか。一番気になるのは「本も読める宿」なのか「泊まることもできる書店(もしくは図書館)」なのかである。偏見かもしれないが、この手のことに興味があるマニアな人たちは後者を望むと思う。しかし、ホテルを設計する立場からは前者にならざるをえず、このあたりのバランスをどうとっているか非常に興味があり、実際に泊まってみることにした。

読書リゾートでは、あらかじめ読みたい本を持っていくが、箱根本箱で読書リゾートを行うとすれば、本は箱根本箱で調達ということになる。もちろん箱根本箱に本を持ち込んでもよいのだが、それでは箱根本箱で読書リゾートを行う意味がない。逆にいえば、箱根本箱にある本だけで読書リゾートの要求を充足できるかが問題になる。もうひとつ読書リゾートの観点から問題になるのが読書環境である。はたして、座り心地のよい椅子、適度な照明、集中力を妨げない音響、直接風が当たらない空調、他人が気にならない配置(距離)、干渉してこないスタッフといった読書スペースが多彩に用意されているだろうか。

2. 本棚

読書リゾートのスタートを切るためには読みたくなる本とすばやく出会うことが期待される。これは本棚の出来に依存する。本棚設計には、分量、構成、展示という3つの要素があるとされる。分量はなるべく多いほうがよく、5万冊は欲しい。箱根本箱の蔵書数は現在約1万冊であるが、工夫次第では2万冊まで増やせるはずだ。次に構成であるが、図書館のような比較的客観性の高い分類法に基づいて行うのか、松岡正剛のように独自の視点でテーマ設定するのか、ランダムに近い形でゆるやかに並べるのかで「語りかける本棚」になるのか「沈黙する本棚」になるのかが決まる。

図書館や松岡正剛の本棚は、具体性の高い主題で分類されているため、書名が意味的な連鎖を形成しやすく、本同士の会話ががはっきり聞こえる語りかける本棚になっている。一方、箱根本箱の本棚は「衣」「食」「住」「遊」「休」「知」という抽象度の高いジャンルの本が境界を明示することなく並べられており、一見すると本がランダムに並んでいるようにみえる。もちろん完全なランダムではなく、ある程度まとまりはあるのだが、本同士の会話が聞こえない、沈黙する本棚である。

語りかける本棚は本同士の主題構造が本棚を見る人の知識構造と呼応し、その人の内なる文脈に沿った選択ができる。それに対して、沈黙する本棚は主題のつながり効果がないため、人の知識構造と呼応せず、本はただ一冊で人に声をかけることになる。そのため、本が人に気づいてもらえるかどうかは人が本を見るその一瞬にかかっており、たまたま人の記憶の何かと反応すれば手にとってもらえるが、それ以外は素通りされることになる。つまり、語りかける本棚は文脈による必然性が強く作用した本の選択が行われるのに対し、沈黙する本棚は偶然性(セレンディピティ)に依存した選択が行われる。箱根本箱はいわば「オールセレンディピティ」の本棚であるといえる。

本棚設計の3番目の要素である展示であるが、箱根本箱は入館したときのインパクトが最大になるよう設計されていて、完全にビジュアル重視である。その分、本へのアクセスに難が生じるのは仕方のないところであろう。本棚の中に座れる仕掛けもおもしろいとは思うが、機能しているとは言い難い。

3. 読書環境

建物の制約が強いので難しいところではあるが、箱根本箱には読書スペースが少ない。本は全て持ち込めるので、それぞれの部屋で読めということなのだろうが、やはり読みたい本を見つけたらその場で読みたいものである。しかし、読書スペースが限られているため、読書行動に移る際ストレスを感じる。読書スペースの少なさを補うために廊下のデッドスペースに読書コーナーが設けられているが、長時間読書するには不向きのように思える。

そのうえ、用意されている椅子があまり読書にむかない。ホテルとしてのビジュアルデザインを重視するため、おしゃれな椅子にするのは理解できるが、読書に適している椅子は少ないように感じた。ただし、これは実際に泊まった部屋のほか、Web上にある他の部屋の画像から判断しただけなので、実際に座ってみると読書しやすいのかもしれない。なお、ラウンジの椅子にはよいものがあるが、そういう椅子は他のお客さんも大抵目をつけている。

一般的に、読書環境の要素が揃っている宿はとても少ない。しかも、要素が揃っているだけでなく、これらが有機的に結びつき、読書する空気感が漂ってなければならない。この空気感を言葉にするのは大変難しく、図書館ですらこの空気感を実現できているところは少ない。読書環境としてもうひとつ重要なことがある。それは多彩であることだ。人は長時間同じ場所で本を読んでいると閉塞感を感じるものである。その場合、適宜場所を移動して雰囲気の違う読書スペースで読むと気持よく読書を継続できる。つまり、理想的な読書リゾートの宿とは、読書する空気感が漂っているスペースが複数存在し、かつ多彩であることが条件ということになる。

箱根本箱は椅子や照明の問題および読書スペースが単調であるという点で、読書リゾートの読書環境としては不十分と言わざるをえない。しかし、普通の読書をする分には差し支えなく、そういうところだとはじめからわかっていれば工夫次第で快適に過ごせるかもしれない。

4. 「箱根本箱」で読書リゾートは可能か

今回初めて箱根本箱に宿泊したわけだが、これまでの読書リゾートを基準とすれば高い点はつけられない。しかし、箱根本箱に最適化すれば、新しいタイプの読書リゾートを楽しめるかもしれない。前述したように箱根本箱の本棚は雄弁ではない。そのため、早く読書に入りたい気持ちからすると、読むべき本がなかなか決まらずもどかしい思いをする。しかし、ゆっくりと本棚を眺めていると、そういえば昔この本を読みたいと思っていたという記憶がよみがえり、本の呼びかける声が聞こえてくる。つまり、日頃語りかける本棚と接するのが当たり前の私にとって、沈黙する本棚から本を見つける体験は新鮮であったということだ。

さらに著名人による「わたしの選書」も新しい体験を与えてくれた。普段であれば決して読もうとしない本でも、この人が推薦するのであれば読んでみようかという気にさせる。実際、これまで食わず嫌いだった著者の本を読んでみたら、意外と面白かった。これも箱根本箱ならではであろう。

以上のことから、「箱根本箱で読書リゾートは可能である。ただし、箱根本箱の特徴を十分理解して臨む必要がある」と結論づけられる。

蛇足になるかもしれないが、ここに書いたことはあくまで読書リゾートの観点からみた感想であることを強調しておきたい。リゾートホテルとしてはかなりグレードが高く、隠れ家的味付けはたいへん満足のいくものであった。特に各部屋についた露天風呂はすばらしいの一言である。「本も読める宿」としては今のところ最高レベルだろう。さらにこういう宿が増えることを期待する。

今回書かなかったこと

ブックホテルとライブラリホテルの違い、安全性設計、なぜ5万冊か、本との出会いには種類がある、近大アカデミックシアターのキャッチフレーズも「偶発的な本との出会いを体感する」である、松岡正剛の本棚編集法と幅允孝の本棚演出法、蔵書管理(受入ラベルがそのまま、返却方法、検索手段)、図書館情報学教育によい、『図書館情報学を学ぶ人のために』、その他設備(テレビがないのはグッド、地下のシアター、エレベーター、オープンキッチン、エアコン温度調整、照明スイッチの多さ、時計、電話、iPad、電子書籍も読めるとよい、自動販売機は外にある、露天風呂)

参考ページ
・https://yoursbookstore.jp/blog/1282/http://dotplace.jp/archives/31410http://dotplace.jp/archives/31817https://1000ya.isis.ne.jp/1589.htmlhttp://www.chuko.co.jp/special/matsuoka/http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2013/05/vs-40ed.htmlhttps://act.kindai.ac.jp/http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/w5lib/?p=949http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/w5lib/?p=1678http://current.ndl.go.jp/e1668